マッチングアプリその5。大人になって最も情けなく、最も泣いた出会いの話。

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前回はあまり喋らない彼女の話をした。

その続きを思い出していこう

マッチングアプリを使って数人と付き合ったり、振られたりを繰り返してもまだ諦めることはできず、私はマッチングアプリでの出会いを続けた。

使ったアプリはユーブライド



相変わらず誰からも相手にされない日々を続ける中で一人の女性とやり取りを始める。

相手の女性はシングルマザーだった。

だが、私はその時点では全く気にならなかった

マッチングアプリで出会いを求める人の中では、シングルマザーは沢山いて決して珍しくはない。

後で当時のことを振り替えると、この認識がいかに甘く、世間知らずだということがよく分かる。

一通りやり取りを済ませ、会うことに。

場所はレストラン

初めて会う人と店の中で待ち合わせなんてしたことがなかった。

私は緊張しながら店へと向かう。

店員さんに案内してもらい、彼女の元へ

ああ、普通の人で良かった。

最初はそう思った。

自己紹介など基本的な情報を交換し、二件目へ

次はもう少し落ち着いたお酒の飲める店へ

そこでお酒を飲みながら、さっきより砕けた感じで話す。

そのときの印象は、この人とならやっていけるかもしれない。

そんな印象だった。

お互いに嫌いなものが一緒だと、人はすぐに仲良くなれるのかもしれない。

彼女とは好きなものより、嫌いなものが一緒な気がした。

一通り話した後、私の自宅に来ることに。

もうその時点で付き合うことは確定していた。

その後、付き合うことに

その日は雪が降っていた。

次の日の朝彼女を駅まで送り、LINEのやり取りを始める。

そういえば、彼女の本名をしらない…

彼女の名前を尋ね、私も本名を言う。

彼女の名前も知らないとは、何とも奇妙な話である

数日後、付き合ってから初めて会う約束をする。

子供と一緒に来るそうだ

私はドキドキしながら到着を待つ。

すると、子供と一緒に歩いてくる彼女の姿が

なんというか、ショックだった。

シングルマザーというのは知ってるのに、実際に子供と一緒に私の元へ来ることが何だか言葉に出来ないような衝撃だった。

合流し、三人で彼女の家へ

三人で歩く感じはとても心地良かった

綺麗な夕日をバックに、私は家族というのはこんな感じなのか

そんな風に思ったのかもしれない。

その後何回か彼女の家へ行き、寝泊まりしたりを繰り返す中であることに遭遇する。

彼女の子供への虐待

私が目の前にいるにも関わらず、彼女は自分の子供へ怒鳴り散らし、理不尽な理由で罰を与えていた。

これは…

親に虐待されて育った私はその光景を見て 「何とかしなければ」という気持ちと「他人の家なんだから私が口を挟むべきではない」

という気持ちが同時に頭の中をぐるぐるしていた。

だが、私は結局何も出来なかった。

当時の私は26歳くらい

今の私なら児童相談所へ通報している所だが、そんな度胸は当時の私にはない。

なにより、私と彼女との関係が崩れることに怯えていた。

私は、この子供の助けになるようなことは何かと考えていた。

当時、私はゲームを持っていたので彼女の子供とゲームで遊ぶことに

結果、楽しそうに遊んでくれて少しは打ち解けた気がした。

その数ヶ月後、私は倒れてしまった

最初は微熱が続き、風邪かな?と思いながら仕事に行っていたが、夜には38度越えの熱が出て心臓の鼓動も早くなった。

「もしかして、このまま死ぬんじゃないだろうか」

そんなことを思った。

会社を休み、病院へ行く

病名は急性肝炎

先生によると、肝臓に少し傷があったそうだ

急性肝炎というのはA型B型C型D型E型とあるそうだが、そのどれにも当てはまらないという。

急性肝炎の主な原因としてウイルスに感染した食品や水を摂取することや、性行為で感染するそうだが、私はどれにも当てはまらない。

過労で弱った所にウィルスが肝臓に…というのが診断結果だった。

私はこうなった原因は何だろうと考えた

彼女の子供に対する虐待をずっと見せられてきたからだろうか。

そんなことを思った

病院を出て真っ先に会社へ暫く休む連絡をして、彼女へ電話をする。

私が急性肝炎であることを伝えると、彼女は「ふーん」という反応だった

………………。

言葉にならない。

しかも、何故か不機嫌な様子。

私は彼女の機嫌を直そうと必死に話す

だが、彼女は忙しいと言って切ってしまった

……………。

何故私はこんな惨めな思いをしなければいけないのか。

涙が出てきた

その後、何回かLINEでやり取りをしたがずっと不機嫌

電話をしてもすぐ切られる

熱がずっと続き、食欲も無く、私は心が弱っていた

心配すらしてくれない彼女に私は愛想を尽かしていた

「もう終わりにしよう」

そう思い、私は彼女との関係を切った

彼女が不機嫌な理由は未だに不明。もう興味はない

急性肝炎というのはとてもツラい

食欲は全く無く、大好きな料理すらまともに出来ない

食べることが生き甲斐だった私は絶望した。

そんな時、私は実家に帰っていた。

実家には母がいて、病気の私を温かく見守ってくれた。

料理も用意してくれた。

しばらく母に会っていなかったが、これからは何度か実家に顔を出そうと思った。

2ヶ月後体力が戻り、仕事も普通にこなせるようになってきた。

まだまだ完全に回復とまではいかなかったが、普通に生活できるようにはなった。

今回嫌なことばかり起こったと思いがちだが、貴重な経験ができたと思う。

何も行動を起こさないより、嫌な思いしてまで何かした方がいい

今回のことでちょっとだけ精神が強くなった

そんなことを今になって思う。

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